STMG 古伝武術の世界|「氣」とは何か、「勁」とは何か
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古伝武術の世界

日本武術での「氣」

日本の武術では氣に対して心理的な側面で語られる事が多いかと思います。剣術でも「合気」という事が云われていて、流派によって扱いは異なるかもしれませんが、概ね「合気忌むべし」という戒めでも語られていたりします。これは人が争うときに一定の技量以上の者同士ですと「合気」という現象が発生し、それを回避しなければならないという教えです。言葉で表現するのは中々困難ですが、お互いの動きに同時に引き合うような現象が生じ、何か仕掛けたとしても同時に反応するような動きになってしまうのです。武術の高位者であればあるほどこの現象は起きやすく、その為に技量向上の目安ともされていますが、その段階で止まってはならず、合気は外さなければならない事柄なのです。

ここでいう「気」は前述の肉体的なものとはずいぶん違って見えますが、実は本質的には同じものなのです。肉体的な粗い形から精神面へと昇華しただけに過ぎません。形意拳などではこれを「練氣化神(氣を練り上げて神と化す)」の段階と説明していて、この昇華した氣が起こす状態を「神」と表現しているのです。神(宗教上の神様の事ではありません、字が同じというだけです。念のために)の説明はそれこそ言葉ではほとんど不可能だと思いますので先人の逸話などで説明を試みたいと思います。

◆程庭華の逸話

八卦掌の程庭華がある日城門から自身の店に帰ろうとした時(程先生は北京で眼鏡屋を営んでいました)、葦草園のあたりを通り過ぎた瞬間に後ろからつけていた男にいきなり刀で襲われました。しかし程先生は少しも動じず、身をかわし、次いで相手の刀を奪いつつ瞬時にその男を地面に叩きつけたのでした。そして「朋友よ、このまま郷里に帰り磨き再び会いにくるがよい。」と仰ったそうです。そしてそのまま男の名も聞かず店に帰ったという事です。これは少なくない人が目撃していた事件で、いろいろな記録にも残されています。このような武の発現を内家拳では「神氣」と称しています。

◆桃井春蔵の逸話

幕末の有名な剣術に鏡心明智流という流派がありまして、その四代目の桃井春蔵という先生の逸話です。この方がある大藩の江戸屋敷に呼ばれ、揮毫を依頼されました。書の達者でもあったからです。しかしこれは一種の罠で、高名な桃井先生の技量が本物かどうかを試したいと思った藩主が仕組んだイタズラといいますか、要するに茶番だったのです。

広間に招かれ、いささかの談笑の後にいよいよ書をしたためてもらう為に準備された部屋に通されました。そして机に向かい筆を取ろうとしたのですがその時、部屋の隅に控えていた大漢の侍達が突然左右から先生の両腕に掴みかかったのです! これでは書を描くどころではありません。横で見ていた藩主はニヤニヤしています。いかな剣の達人であろうともこの状況で書など描けるわけがない、そう算段した上での計画だったのです。しかし、その後の光景はその場にいる皆が驚愕するものでした。桃井先生は大漢二人に掴まれているにも関わらず、それを無視して書を描き始めたのです! しかも平時と変わらず何事もなきが如くであったと云います。

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